オーナーのひとり言

Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

『天に口なし、人を以て(もって)言わしむ』

すごく久しぶりの「オーナーのひとり言」ですね
日々に追われて、気づいたら、1年以上も書いていませんでした
早いもので、今年も残り1か月余りとなりましたが、
本当に、毎日毎日過ぎていくのが早くて、時の流れについていくのが、やっとな感じです

もうすぐ誕生日を迎え、また一つ歳を重ねるのですが、
いつの間にか、私も年齢は立派な大人になっていますが、
果たして、年齢と同じくらい中身が成長しているだろうか…と、ふと考えることがあります。

当たり前のことですが、ある程度の年齢に達すれば、
または、さまざまな社会的な地位や立場にいれば、
良いのか悪いのか、子供の時のようには、誰も叱ったり、注意したりしてくれなくなるものです。

そんな中で、どうやって、まだまだ未熟な自分を正し、成長させることができるのだろう…

有り難いことに、現状では、まだ私にいろいろな事を教えていただいたり、
私を諭し、導いていただける方々がいらっしゃいます。
それは、もちろん私よりも年齢も経験も地位も、
すべてにおいて私など足元にも及ばない方が大半ですが、
私よりもずっと若くて、世間的には、特にこれといったモノをまだ持っていらっしゃらない方、
極端に言えば、子供たちや自然からもたくさんのことに気づかされ、
学ばされる事もたくさんあるのです。

『天に口なし、人を以て(もって)言わしむ』

天(神)には口がないから何も言わないが、その意思(思い)は人の口を通じて告げられる。
という意味のことわざです。

たいした人生を歩んでいない私でも、
もしも神様がいらっしゃるならば助けていただきたい…。
どうしたらいいのか教えていただきたい…。と思うこともあります。
でも、私は、神様の声が聞こえるわけでも、何かが見えるわけでもありません…。
そんな時、誰かの言葉や行動が、映画のセリフが、流れてきた歌の歌詞が、
私の目や耳に入ってきて、
「あぁ、こういうことなのか…」とか、「そういう風に考えればいいんだ…」とか、
「それが大事なことなんだ…」と、答えを教えていただき、私を助けてくれました。
そして、少しずつ少しずつ私の感覚を開放し、成長させてくれたような気がします。
振り返って考えてみると、本当に“自分に必要なモノ(言葉や考え方)”が入ってくるときは、
自分の心がオープンでフラットな状態で、
相手(その人・その物)に対して何の先入観も持っていないときだったように思えます。
先入観を持ってしまっていると、相手を見くびってしまって、
大切なことを教えていただいているのに、それに気づく(それをキャッチする)ことができなかったり、
あるいは、相手を過大評価して、自分には必要ないものをキャッチしてしまったり…。

それと、やはり、人は常に“素直”“謙虚”でなければ、
結局は、自分が損をしてしまうんだなぁ…と改めて見せられることがよくあります…

私は、『自分の人生は、他の誰でもない自分自身でしか作ることができない』と考えていますし、
同時に、『自分の言動や思いは、すべて自分に返ってくる。それが、自分の未来となる。』
とも思っています。
ですから、当然のことながら、自分の人生の中心は“自分自身”です。
現状は、過去の“自分”の結果であって、良いことも、まだ自分の理想には達していないことも
すべて自分の考え方・言動の結果に過ぎない…。
自分の人生は、全て“自分が発信したものが返ってきているだけ”だとしたら、
何かしらの大きなチャンスを得ることも、逆に大きなチャンスを逃してしまうことも、
それらは、ただ単に運が良い悪いという短絡的なものではなく、
全ては自分の考え方や言動の結果にすぎないのではないでしょうか…。
いくら自分は周りからこう思われたいとか、こんな立場になりたいとか、
さまざまな自分の欲求があったとしても、
それらを得られるための考え方、行動ができていなければ、欲求を満たすことはできない…、
それ相応のモノを持っていなければ、行動を起こしていなければ、
特に、他人からの評価や名声というものは、得ることは難しいのではないでしょうか…。
いくら自分は、ちゃんとしているつもりでも、頑張っているつもりでも、
世の中の道理がきちんと理解できていなければ、
自分が欲しいものを得ることは難しいのではないか、
たとえ一時は得られたとしても、それを継続することは、なお難しいように思えるのです…。
自分が得たいモノが人並み以上のモノであればあるほど、優れていれば優れているほど、
それ相応の素養教養が必要になってくるのではないでしょうか…。
果たして今の自分は、自分が欲しているモノに相応しい自分になっているかどうか、
常に自分自身を客観視する必要があるのではないかと思うのです…。


私は品行方正、清廉潔白ではありませんが、
少なくとも“世の中の道理”の基本部分は理解できているつもりです。
また、オーナーという立場柄、業務的なことはもちろん、
時には、“社会人として”、また“人として”、
自分なりにいろいろなことを伝えていかなければいけない立場にあるとも思っています。

例えば、私がスタッフの言動に「…?」と思うことがあったとします。
そういう時は、ある程度までは自分の中に留めておいて、様子を見て、
目に余るようであれば、直接お話をさせていただくようにしています。
誰でもそうだと思いますが、人に何かを伝えるときには、
どのようにお話すれば、自分の思いを、自分が伝えたいことを理解していただけるだろうか…と
考えて、考えて、お話しますし、手紙であれば、「これで大丈夫だろうか…」と
何度も読み返して投函します。
それが、特に自分が大切だと思う人であれば、尚のことではないでしょうか…。
親が子供を想うとき、上司が部下を想うとき、
あるいはパートナーが、友達が相手のことを想うとき、
時として、“人として、しっかりと生きてほしい”という相手に対する願望や
“つらい思いはさせたくない”という思いが強すぎて、その先が見えるばかりに、
出過ぎたことを言ってしまったり、やってしまったりすることもあるかもしれません。
私も伝えた後に、ちゃんと自分が伝えたいことは伝わったか、
あるいは余計な事を言ってしまったのではないかと後悔したり、悩んだりすることもあります。
そんな時に、私を救ってくれた人生の師の言葉は、
「あなたが、本当にその人のことだけを思って言ったかどうかが大切なのよ」と
教えていただきました。
極端な話、そこに愛があるかどうかが大切なこと…。
その言葉をいただいてからは、
「伝えないといけないことは、伝えにくい事でも、ちゃんと伝えよう」と思っています。
そして、自分が、その言葉の意味を再認識するために、自分自身にも言っているのだと思います。
(結局は、人に言っているようで、自分を律するために、自分自身に言っているのかもしれません…。)
お伝えした時は、私のことを疎ましく思われたとても、また、何言ってんだ?と思われたとしても、
いつか、その人にとって、何かを考えるヒントにでもなればいいなぁ…と思いますから。
それに、その時は私のことをあまり良く思われなかったとしても、
いつかきっと理解してもらえる時がくると信じていますから…
でも、結局、何にも理解していただけなかったときは、仕方ありません・・・。
その方は、私とはご縁がなかったのでしょうから…。

逆に私も、誰かが私に伝えられることは、いつも素直に謙虚で、フラットな心で
耳を傾けようと心掛けています。
「良薬口に苦し」と言うように、本当に自分の為になる忠告ほど、耳が痛いものですが、
これは、神様からのお声でしょうから…


スポンサーサイト
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。